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 前事不忘 後事之師

第9回 刺客列伝―― 士は己を知る者のために死す

 最近、北朝鮮の指導者の異母兄がマレーシアで暗殺されるという衝撃的な事件のニュースが世界を駆け巡りました。不透明なことが多いので、確たることは言えませんが、この事件にはとても陰湿な印象があります。広辞苑によると、「暗殺」とは、「ひそかにねらって人を殺すこと」です。人を殺すという犯罪行為をひそかにねらって行うわけですから、極悪非道な行為と言っても良いでしょう。

 しかしながら、このような極悪非道なイメージのある暗殺者の伝記を中国の歴史家である司馬遷は書きました。彼が書いた歴史書『史記』の中には、「刺客(しかく)列伝」というパートがあり、そこでは、中国の春秋から戦国末期の時代を生きた五人の刺客(暗殺者)の話が記されています。そのうちの一人である聶政(じょうせい)という人物について簡潔に記すと、こんな話です。

 韓の国に聶政という男が住んでいました。この男、ふとしたことで人を殺(あや)めてしまい、仇(かたき)に追われることになり、仇の目を逃れるため、母姉とともに斉の国に移り、家畜の屠殺人に身をやつして暮らしていました。

 ある時、聶政のところに、「聶政は屠殺人などをしているが、実はすごい人物だ」という噂を聞きつけ、韓の国の重臣であった嚴仲子(げんちゅうし)という人物が会いに来ます。何回かの訪問の後、聶政との友誼を深めた嚴仲子は、自分は韓の国の宰相である侠累(きょうるい)に命をねらわれていることを打ち明け、侠累を討って欲しいと聶政に依頼します。

 当初、聶政は「母に孝養を尽くすので、できない」と言って断ります。しかしながら、月日が流れ、聶政の母は亡くなります。母の葬儀がすみ、喪が明けた時、聶政は考えます。

 「俺は名もない市井の人間、しかも商売は家畜の屠殺人。そんな自分のところに、韓の国の大臣だった人物が遠路をいとわず来てくれて交際を求めてきた。この俺を見込んでくれたのだ。どうしてこのまま頼みを見過ごすことができよう。今は母も天寿をまっとうした。自分を見込んでくれた人のために、この身をあずけよう」

 聶政は嚴仲子からの助勢も断り、剣をひとふり持って、ひとり韓に赴き、多くの警備兵に守られている中、殿中で侠累を見事刺殺します。しかしながら多勢に無勢、聶政は自分の身元が知られないように、持った刀で自分の顔をはぎ、目をえぐった後、腹をかき切り、腸(はらわた)をつかみ出して息絶えます。

 この話のポイントは、たいした学問もない市井の人であった聶政が、ある時までまったく見ずしらずだった人物のために、ただ「男と見込まれたからには」と言って自分の命を捨てる点です。

 司馬遷は他の刺客の話のところで、「士は己を知る者のために死し、女は己を説(よろこ)ぶ者のために容(かたちづく)る」という有名な言葉を残しています。

 正に「自分を評価してくれた」というただその一点で、その評価してくれた人のために命を投げ出す、現在のような利害得失を中心として人間関係が形作られる世界では決して見られない行為のように見えますが、他方で、命を捨てるというのは極端にしても、人間の行動原理において、「人に評価してもらえる」ことは、金銭や損得以上に重要だということは今の時代でも言えるように思います。

 こうしたことを理解して、私も部下と仕事をしていれば、現役時代、もっと良い上司であったように今更ながら反省します。

鎌田 昭良(防衛省OB)

 

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