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 前事不忘 後事之師

第21回 カンネーの戦い ――そこから何を学ぶべきか

 チュニジアの切手に描かれたカルタゴの名将ハンニバル

 世界の歴史の中で、完璧(かんぺき)な勝利だったとされる戦いがいくつかありますが、その一つは、古代ローマとカルタゴの間で戦われた「カンネーの戦い」です。

 この戦いは、紀元前216年の8月、南イタリアのカンネーの平原で、今のスペインから陸路アルプスを越えてイタリアに侵入した稀代の名将ハンニバル率いるカルタゴ軍とローマ軍との間で行われました。この時のカルタゴ軍は歩兵・騎兵合わせて5万人、対するローマ軍は歩兵・騎兵合わせて8万7000だったと伝えられています。カルタゴ軍の司令官は、31歳の若さのハンニバル、ローマ軍の司令官は2人の執政官が担うこととなっており、軍勢全体の総指揮は2人の執政官が一日交替で執る慣習でした。

 カンネー以前の2回の戦いで大敗していたローマ軍は、ハンニバルが並みの武将ではないことを知っており、慎重な対応を採っていたのですが、ハンニバルは、捕らえたローマ軍の捕虜から2人の執政官の性格を聞き出していたようです。2人のうち平民派で積極果敢な性格の執政官が総指揮を執る日を狙って罠(わな)を仕掛け、最終的に、ローマ軍全体を少数のカルタゴ軍で包囲してしまいます。カルタゴ軍によるローマ軍の包囲が完成した後は、カルタゴ軍による一方的な殺戮(さつりく)となり、ローマ軍の犠牲者は7万に上ったと言われています。カルタゴ軍の戦死者は5500と伝えられていますので、ハンニバルによる完璧な勝利でした。

 このカンネーの戦いは、あまりに見事な包囲作戦であったことから、戦史の中でも必ず取り上げられ、後世の将軍の何人かが戦いのモデルとしました。その一人が第1次世界大戦直前にドイツの参謀総長の職にあったアルフレート・フォン・シュリーフェンです。彼は、カンネーの戦いを敵軍殲滅(せんめつ)の理想形と考え、これを参考に、戦争初頭に、中立国ベルギーを経由して、フランスを叩く所謂(いわゆる)「シュリーフェン・プラン」を考案します。実際に、第1次世界大戦では、修正されたシュリーフェン・プランに基づき、戦争が行われますが、ドイツは敗北します。

 シュリーフェンの例のように、カンネーの戦いで見せたハンニバルの戦術は、後世大いに学ばれることになりましたが、より学ぶべき事柄は、ハンニバルは、カンネーの戦いで大勝利を収めたにもかかわらず、最終的に第2次ポエニ戦争でカルタゴが敗者となったことではなかったかと私は考えます。

 識者によって、カルタゴの敗因分析は異なり、今でいう「制海権」をローマに握られていたことや、のちにローマ側にハンニバルを凌駕(りょうが)するスキピオという名将軍が登場したことなどの軍事的な要因を挙げる者もいますが、カルタゴの大きな敗因は、政治的なものであり、第一に、戦場での勝利を戦争全体の勝利に繋(つな)げる政治的なリーダーシップがカルタゴ側に欠けていたこと、第二にローマの政治的な傑作とも言えるイタリア国内のローマとその同盟国との絆をハンニバルが最後まで壊すことができなかったことでした。

 後世の人間が、カルタゴの最終的な敗北の原因が政治的なものであったことを真剣に学んでいたら、シュリーフェン・プランという軍事作戦に含まれていた中立国ベルギーへの侵攻が、イギリスの参戦を引き起こすことの政治的な意味合いについて、もっと大きな注意が払われたように思います。「歴史から学ぶ」と良く言われますが、歴史から本当のところ何を学ぶべきかを知ることは、難しいことだと思います。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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