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 前事不忘 後事之師

第25回 孫子は「品格」を言わず

 『孫子』(岩波文庫版)

 新年に入り、早くも10日が経過し、今月中旬からは、大相撲の1月場所が始まります。昨年11月に行われた九州場所は、土俵の外での暴行事件が大きな話題になりましたが、土俵上では、横綱白鵬が圧倒的な強さを見せつけました。横綱白鵬がモンゴル出身ということも影響しているのかもしれませんが、テレビでは、「強いかもしれないが、かちあげ、猫騙(だま)しなど横綱らしからぬ技を使い、相撲に品格がない」と批判をする評論家もおられました。

 相撲における品格とは具体的に何かわかりませんが、私も横綱はただ勝てば良いというだけではなく、横綱らしい勝ち方をして欲しいと思います。

 しかしながら、相撲と同じ勝負事である戦争の世界では、どのような手を使っても勝つことが重要だと主張する考えがあります。

 古今最高の兵書の一つとされている中国の「孫子の兵法」の「計篇」には、「兵は詭(き)道(どう)なり」という有名な言葉があります。防衛大学校名誉教授の水野実先生によれば、この詭道の「詭」という漢字は、孫子以前の古典では、見当たらないそうですが、「騙す」「欺(あざむ)く」という意味であり、「兵は詭道なり」とは、「戦争は、騙したり、欺いたりするやり方で行うもの」との主張です。

 孫子の辞書には、卑怯という言葉は無いと言われる所以です。

 利害、欲望に脆弱だという人間の本源的な弱点を突いて、相手を騙し、欺き、翻(ほん)弄(ろう)するところに孫子の兵法の本質があります。私が孫子の兵法の中で、深いと感じる言葉の一つは、「九地篇」にある「其の愛する所を奪わば、即ち聴かん(敵の大切にしているものを奪い取れば、かならず敵は反応する)」ですが、この言葉も相手が愛しているものが弱点なので、そこを突けとの主張です。

 考えてみれば、〝えげつない〟主張ですが、孫子の兵法をよく読んでみると、詭道で騙す相手には、敵だけではなく、味方の士卒も含まれていることが分かります。

 将軍は、自軍の士卒の認識能力を巧みに無力化して、士卒を逃亡できないようにしながら、必死で戦わざるを得ない「死地」に追い込むことが重要だと述べています。「高きに登りて其の梯(はしご)を去る(味方の兵卒を高い場所に登らせておいてから、梯をはずす)」との表現に出合うと、恐ろしささえ感じます。孫子の兵法には、戦い方に「品格」が必要であるとの記述は一切無く、冷徹な「利」と「害」の計算こそ全てであると説きます。

 古来、孫子の兵法の解釈は、孔子の学である儒教を収めた儒学者によって、解釈されてきました。前述した水野先生によれば、彼らは、「詭道」の解釈に悩んだそうです。儒学者なだけに、「騙す」ことが大事だと言うわけにはいきません。

 そこで中国の王陽明や日本の荻生(おぎゅう)徂徠(そらい)などは、「詭」というのは、騙すのではなく、「手の内を秘匿する」ことだと解釈したそうですが、私は、それだと本来、孫子が言おうとしていることと少しずれるように感じます。

 孫子は、その冒頭で「兵は国の大事なり、死生の地、存亡の道なり(戦争は、国家の重大事であり、国民の生死の決するところ、国家存亡の分かれ道だ)」と主張します。だから、負ける戦争は絶対にしてはならないし、騙しや欺きの手を使っても、戦争には絶対に勝たなければならないとの考えなのだと思います。

 戦争も相撲も厳しい勝負の世界という点では同じですが、国家の命運がかかる戦争と命のやりとりまでには至らない相撲とはやはり大きな違いがあるのではないでしょうか。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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