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 前事不忘 後事之師

第26回 韓非子も説く「間接的アプローチ」

 『韓非子』の岩波文庫版

 3年ほど前から湯島聖堂の斯文会(しぶんかい)で、中国の古代思想の一つである『韓非子(かんぴし)』の講義を受けていますが、『韓非子』は、人間や社会の本質をどう見て、それらにどう対応していくのか考える上で、とても参考になる書です。

 『韓非子』の著者である韓非は、今から2250年以上前、中国の戦国時代に活躍した思想家です。ヨーロッパのルネッサンス時代の思想家であるマキャベリを凌ぐリアリストで、『韓非子』の「備内篇(びないへん)」には、君主は、その后妃(こうひ)や夫人さえ信じてはいけないとあり、「人主(君主)の患(うれ)いは人を信ずるに在り。人を信ずれば即ち人に制せらる」と説きます。この『韓非子』の中に「説林(ぜいりん)」という昔の説話を集めた篇がありますが、この篇の中にとても面白い説話がありますので、紹介します。

 張譴(ちょうけん)という人物は韓の国の宰相でしたが、病気になり死の床につきました。この張譴を公乗無正(こうじょうむせい)という人物が30金を懐にして見舞いに訪れます(30金は宰相の地位を狙っての賄賂(わいろ)です)。韓の国の君主がある日のこと、張譴に「もしそなたが死んだら、いったい誰をそなたの代わりにしたら良いか」と訊(たず)ねました。張譴は答えて言いました。「公乗無正は国法を尊重してお上を恐れる人物ですが、公子の食我(いが)が民衆から人望を得ているのには及びません」。張譴が死ぬと、公乗無正が宰相に選ばれました。

 この話のポイントは、張譴は、初めから公乗無正を自分の後任の宰相にしようと考えていたのですが(もちろん賄賂を貰っているからでしょう)、君主には別の人、公子である食我を推薦する点です。その理由として、食我が民衆に慕われていると説明し、他方で、公乗無正がお上(君主)を恐れる人物であると告げます。食我が公子(君主の血を引く人物)でかつ民衆に人気があるとなれば、君主にとっては、自分に取って代わる人物になり得る存在です。だから、君主は、食我ではなく、公乗無正を宰相の後釜に選んだのです。おそらく張譴は、君主の性格とその内心を読んでしかけたのでしょうし、君主は、張譴の本心に気づかずに公乗無正を宰相にしたのかもしれません。

 『韓非子』がこの話を説話集の一つに入れている意図はこういうことだと推測します。自分が希望する事柄を直截(ちょくさい)に実行しようとしても決して実現できない。むしろ相手の気持ちや反応を読み切った上で、自分が希望することと異なることを提示しつつ、最終的には、自分が希望する方向に相手を誘導する、これが政治の知恵である。

 現在の我が国内外の政治状況を観察すると、自分に敵対する勢力や脅威に対し、相手からの反発を受けることが明らかであるにも関わらず、極めて直線的に対応していく手法がとても多いように見受けられます。私は、そのような直線的なアプローチは、いくら目指す目標が正しくとも、相手が予想し準備しているところにぶつかっていくだけの工夫のないものであり、必ず失敗すると考えます。

 20世紀を代表するイギリスの戦略思想家リデル・ハートは、その著『戦略論』の序言で、「あらゆる事例において(相手の)考え方を直接批判し、頭ごなしに攻撃することは、相手の頑固な抵抗を引き起こし、相手の考え方を変えさせることがますます困難になる。相手の考え方を変えさせることは、相手と違ったわが方の考え方を、相手が疑惑を感じさせないような形で浸透させることによって、一層容易に達成されるものである」と書いています。

 正に『韓非子』の説話集「説林」に出てくる張譴の手法は、悪賢いようにも見えますが、リデル・ハートの推奨する優れた「間接的アプローチ」であると思います。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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