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 前事不忘 後事之師

第30回 誤解された思想家マキアヴェリ

 ニッコロ・マキアヴェリ著『君主論』(中公文庫)

 私は、絵画や音楽などの芸術を解さない人間ですが、なぜかイタリアのルネッサンス時代の絵画が好きです。かつてイタリアのアッシジを訪れ、初期ルネッサンス時代の画家ジョットの作とも伝えられている一連のフレスコ画にとても感動したことを昨日のように覚えています。私がこの時代の絵画に惹(ひ)かれる要因は、ルネッサンス以前の中世ヨーロッパ時代のキリスト教による宗教的な制約を解き放ち、人物や自然を〝ありのままの姿〟に描こうとした画家の姿勢です。

 このルネッサンスの時期に、芸術家同様に人間の本性をありのままに捉えて政治を行うべきと主張する思想家が現れました。都市国家フィレンツェの官吏であったニッコロ・マキアヴェリ(1469~1527)です。マキアヴェリは、その著『君主論』の中で、「人の実際の生き方と人間いかに生きるべきかということは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかということのために、現に人の生きている実態を見落としてしまうような者は、自分を保持するどころか、あっというまに破滅を思い知らされるのが落ちである」と述べています。リアリストの思想家としての面目躍如たる言葉です。

 ルネッサンス期は、人間の欲望も解き放たれた時代でもありました。その結果、ローマ法王の中でさえ、愛人を持ち子供を作ったり、はたまた教皇領拡大のために戦争を起こした者まで出る始末。イタリアの歴史に詳しい塩野七生さんは、『ローマから日本が見える』という本の中で、こうした欲望の解き放たれた社会の現実を目の当たりにして、二人の人物が〝同じ〟問題意識を有したと書いています。一人はマキアヴェリですが、もう一人はドイツで宗教改革を開始したマルティン・ルターです。

 塩野七生さんによれば、二人が有していた同じ問題意識とは、「キリスト教がヨーロッパ人の精神を千年以上に亘(わた)り、支配してきたにもかかわらず、なぜ人間性は向上しないのか」ということでした。問題意識は同じでしたが、二人の解答は異なりました。宗教家であったルターは、宗教の説かれ方に原因を求めました。キリスト教は、本来なら人間性の向上に役立つはずだが、神と信者の間に聖職者というフィルターが介在しているため、神と信者とのつながりが邪魔されている。ルターは、聖職者階級を排除し、神と信者が直接結びつく信仰の形を唱えます。

 他方、マキアヴェリは、そもそも人間の存在自体が宗教によってさえ変えようがないほど、「悪」に対する抵抗力がないからだと考えました。そうした人間社会を変えていこうとすれば、先ずはこうした人間性の現実を冷徹に直視すべきだと主張します。

 マキアヴェリは、国家を統治するためには、時には悪事も必要だと主張しましたので、「悪」の思想家とも言われています。ローマ教皇庁は、彼の著書全部を禁書にしましたし、プロシアの啓蒙専制君主であるフリードリッヒ大王は、マキアヴェリ批判を内容とする『反マキアヴェリ論』という本を出版したほどです。しかしながら、歴史は皮肉なもので、マキアヴェリ批判を展開したフリードリッヒ大王でさえ、マキアヴェリが主張する力を背景にした政治を行わざるを得ませんでした。

 マキアヴェリやルターが生きた時代から五百年近くが経過しましたが、その後の歴史の展開を見る時、マキアヴェリとルターという二人の思想家・宗教家による人間の本性についての解答のどちらに軍配が上がるのか私は、明らかだと考えます。戦略思想家のクラウゼビッツもマキアヴェリの政治思想を高く評価していたそうですが、マキアヴェリほど誤解されている思想家はいないと思います。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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