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 前事不忘 後事之師

第58回 『危機の二十年』(E・H・カー著)の理想と現実
             ―岸本さんから教わったこと

 E・H・カー著『危機の二十年』(岩波書店刊)

 防衛省の報道官をしていた頃のことです。毎日新聞論説委員で、その後逝去された岸本正人さんから『危機の二十年』を薦められました。本屋で買い求めて読み始めましたが、途中で挫折、コロナ禍で自宅にいる時間が多い昨今、岸本さんを偲(しの)びながら読破しました。

 『危機の二十年』は英国の歴史家E・H・カーによる国際政治に関する名著で、第1次世界大戦終結の翌年1919年から第2次世界大戦が生起する1939年までの「戦間期」20年間における理想主義とリアリズムという国際政治の二大潮流が分析されています。

 カーはこの20年について、最初の10年は現実を考慮しない願望が支配するユートピアの時代であったが、次の10年は容赦のないリアリズムが支配する時代に急展開したと分析します。急展開したのは、国際連盟の創設に代表される理想主義が失敗したことによるものです。失敗の理由は理想主義が願望に捉われ、変革しようとする現実世界における「権力」の役割を軽視したことだと説明します。そもそもカーは理想主義者が平和を絶対的な善、戦争を絶対的な悪と見る判断を概ね次のように批判します。

 「平和の主張は現実には支配的な国家が自分に有利な現状を維持するためのスローガンになっている。他方で現状に不満を持つ国が変革を成し遂げようとすれば戦争をせざるを得ない。アメリカ独立運動はそうしたものであり、アメリカ植民者の行動が現状を守ろうとした英国人の行動よりも道義的に劣っていたとは言えない。戦争を始めることが無条件に間違っていると信じるのは難しい」

 カーはそれでも戦争は望ましくないとした上で、現在の国際政治の最大の課題は、かつて現状変革の手段として認められていた侵略戦争が国際法で違法とされながら、他方で不満を持つ国が現状を平和的に変革する選択肢が示されていないことだと主張します。厄介なことは国内政治では立法府の存在により弱者や持たざる者の不満が解消される平和的変革の枠組みがあるのに対し、国際社会には国際立法機関がないことですが、カーは国際立法機関がないから平和的変革など論外であるとするのは悲観的過ぎるとし、「現状」の平和的変革を可能にする条件は「譲り合いのプロセス」にあると述べます。

 この主張は、キッシンジャーが国際秩序が安定する条件として全ての当事国が「少なからず不満を持つこと」であると分析するのと通底しますが、カーは一歩進めて、「現行秩序から最大利益を得る側こそこの秩序から最小利益しか得られない国々でも我慢できるほどの譲歩をして、秩序を維持するべきである」と主張します。さらにカーは、道義の実現は力によって裏打ちされていなければならないとし、現状不満足国家が現状維持国との平和的交渉を促すために実力行使の威嚇をすることを是認します。

 『危機の二十年』は1939年に刊行されました。前年の9月にミュンヘン会議が行われ、英仏がヒットラーに宥和政策を採ったことを考慮すると、カーの主張は宥和政策に賛成していると解釈でき、実際カーはそうした批判にさらされました。

 カーは空疎な理想主義を非難する一方で、現実の変革を拒むリアリズムは老人の思考だと辛辣(しんらつ)です。このためリアリズムに支えられた理想の実現、権力に支えられた平和的変革への道を必死に模索をしたのだと私は思います。もちろんカーに対する批判は可能ですし、本が出てから80年以上が経過し、国際社会には新たな問題も出現しています。しかしながら、カーが『危機の二十年』で提起した国際社会において平和的変革をどのように実現するのかは、今でも私たちが真摯(しんし)に向き合うべき重要な課題です。

 軍事の世界はリアリズムが支配する世界です。また軍事的な脅威に対して備えをすることも重要です。しかし、それは癌治療に譬(たと)えれば、外科的治療などの対処療法であり、癌の撲滅を目指すのであれば癌の発生メカニズムとその予防を研究することが重要です。脅威に対して軍事的な備えをしながら、私たちはカーが『危機の二十年』で提起した一段高い視点も忘れてはならないと考えます。もし岸本さんが御健在であれば、こうした議論ができたように思います。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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